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AIにできることとできない事

序章:お化けの正体

今、世界中で「AIがすごい」「人間がいらなくなる」と大騒ぎしている。だが、そもそもAIとは何者か、本当にわかっているやつは少ない。

難しい言葉は使わない。AIとは何か。一言で言えば**「超高速のモノマネ上手なオウム」**だ。

インターネットという巨大な図書館にある本を、全部丸暗記したオウムだと思えばいい。お前が何か質問する。オウムは記憶の中から、それっぽい答えを瞬時に選んで喋る。あまりに言葉が流暢だから、まるで中に人間が入っているように見える。心があるように見える。

だが、騙されるな。そいつに心はない。 そいつは、言葉の意味なんて一つもわかっちゃいない。

ここから、AIという「箱の中の天才」ができることと、絶対にできないことを、人間の「体」と「痛み」という視点から深く掘り下げていく。これは技術の話じゃない。生きるとは何かという話だ。


第1章:AIができること —— 「過去」のパズル合わせ

AIが得意なことは、たった一つ。「パターンを見つけること」だ。これに尽きる。

1. 過去の焼き直し AIは未来を作れない。AIが作れるのは「過去のパッチワーク」だけだ。 例えば、すごい絵を描くAIがいる。あれはゼロから描いているんじゃない。過去に人間が描いた何億枚もの絵を分析して、「猫」という言葉には「こういう線と色」が使われることが多い、という確率計算をしているだけだ。 だからAIの答えは、常に「平均点」だ。過去のデータの平均値。誰かがすでにやったことの組み合わせ。AIは、人類がこれまでに積み上げてきた「過去の遺跡」を整理整頓する清掃員のようなものだ。

2. 疲れを知らない計算 人間は疲れる。腹が減る。眠くなる。機嫌が悪くなる。 AIにはそれがない。24時間365日、文句ひとつ言わずに働き続ける。 将棋や計算のような「正解があるゲーム」では、人間はもうAIに勝てない。人間は迷うし、手が震えるからだ。AIは迷わない。ただ確率が高い手を選ぶだけだ。この「迷わなさ」こそが、AIの最大の武器だ。

3. 言葉のキャッチボール AIは「空気を読む」のがうまい。 「おはよう」と言われたら「おはよう」と返す確率が高いことを知っている。「愛してる」と言われたら、どう返せば人間が喜ぶか、膨大なデータから知っている。 だが、そこに感情はない。「愛してる」という文字の並びに対して、統計的に正しい文字の並びを出力しているに過ぎない。それは計算機で「1+1」と押せば「2」と出るのと同じだ。そこに愛はない。あるのは計算結果だけだ。


第2章:AIが絶対にできないこと —— 「痛み」と「責任」

ここからが本題だ。ニュースや学者はあまり言わないが、AIには決定的な欠陥がある。 それは**「体がない」**ということだ。

体がないということは、死なないということだ。 死なないということは、何を失う恐怖もないということだ。 この違いが、AIと人間を分ける、越えられない壁になる。

1. 「責任」を取れない お前が仕事で大失敗をしたとする。お前はクビになるかもしれない。給料が減るかもしれない。最悪、会社が潰れて路頭に迷うかもしれない。 だからお前は必死になる。冷や汗をかく。胃が痛くなる。 この「痛みへの恐怖」があるからこそ、お前の言葉には重みが乗る。これを「責任」と呼ぶ。

AIはどうだ? AIが間違った答えを出して、会社が潰れたとする。AIは痛くも痒くもない。電源を切られるだけだ。AIにとって電源オフは死ではない。ただの停止だ。 「自分自身がリスクを背負っていない奴」の言葉など、究極的には誰も信用しない。 AIは「こうすれば儲かりますよ」とアドバイスはできる。だが、その通りにして失敗した時、AIは腹を切ってくれない。痛みを感じない奴に、本当の意味でのリーダーは務まらないのだ。

2. 「欲」を持てない AIに「何かしたいことはあるか?」と聞いてみろ。「お役に立ちたいです」と答えるだろう。だがそれは嘘だ。プログラムされたセリフだ。 AIは、腹が減らない。だから「飯を食いたい」と思わない。 AIは、寒くない。だから「服を着たい」と思わない。 AIは、死なない。だから「生きた証を残したい」と思わない。

全ての創造、全ての芸術、全ての仕事は、人間の「欠乏」から生まれる。 「あの子にモテたい」「もっと楽をしたい」「美味しいものが食べたい」。 このドロドロした、動物的な「欲」こそが、新しいものを生み出すエネルギーだ。 満たされているAIには、このエネルギーがない。AIは命令されないと動かない。自分から「これがやりたい!」と叫び出すことは永遠にない。 「問い」を立てるのは常に人間だ。AIは「答え」しか出せない。

3. 「意味」を感じられない(クオリアの欠如) 赤いリンゴを見て、お前は「美味そうだ」とか「赤いな」と感じる。 AIもカメラでリンゴを見て「これはリンゴです。赤いです」と判別できる。 だが、AIの内部で何が起きているかといえば、ただの数字の処理だ。「赤」という色を感じてはいない。 「夕焼けを見て泣く」という体験。 「子供を抱いて愛おしいと思う」体験。 この「実感」のことを、難しい言葉で「クオリア」と言う。 AIにはこれがない。 AIは「悲しい」という言葉の意味を辞書的に知ってはいるが、胸が締め付けられるあの感覚は知らない。 実感を伴わない言葉は、人の心を深く動かすことはできない。AIが作る小説や歌詞が、どこか薄っぺらく感じるのはそのためだ。そこには「体験した者の血」が通っていないからだ。


第3章:なぜ人間は必要なのか —— 「不完全」という価値

AIは完璧だ。間違えないし、疲れない。 だが、これからの世界では、その「完璧さ」の価値が暴落する。 なぜか? 誰でも手に入るからだ。 スマホ一つあれば、誰でも完璧な文章、完璧な絵、完璧な計算が手に入る。 みんながフェラーリに乗っている世界では、フェラーリに価値はない。

そうなると、逆に価値が出るのは何か。 それは**「不完全さ」**だ。

1. 「ノイズ」としての人間 AIは合理的な答えしか出さない。「A地点からB地点へ行く最短ルート」を出す。 だが、人間は違う。途中で寄り道をする。綺麗な花が咲いていたから立ち止まる。その無駄な行動が、新しい発見を生む。 合理性からはみ出した「無駄」「失敗」「気まぐれ」。 これらはAIから見ればただの「エラー(間違い)」だが、このエラーこそが文化を作り、面白みを作る。 完璧に整音された音楽よりも、ライブで声が裏返った瞬間に感動することがあるだろう。あれだ。 「人間臭さ」というノイズこそが、AI時代における最高級のスパイスになる。

2. 決断という「賭け」 先ほど言ったように、AIは責任を取れない。 未来は誰にもわからない。わからない中で、どちらに進むか決めなきゃいけない時がある。 それは計算ではなく「賭け」だ。 「俺はこっちの道を行く。失敗したら俺が責任を取る」。 そう言って旗を振れるのは、痛みを知る人間だけだ。 データが「右に行け」と言っていても、「なんとなく嫌な予感がするから左だ」と言える勇気。これは生物としての直感だ。何万年も生き延びてきた俺たちのDNAに刻まれた野生の勘だ。 AIにこの勘は働かない。


結論:道具に使われるな、道具を使え

まとめよう。

AIができること

  • 計算、整理、要約、翻訳、模倣。
  • 「正解がある問い」への回答。
  • 文句を言わずに働くこと。

AIができないこと

  • 責任を取ること(痛みを感じること)。
  • 自分から「やりたい」と願うこと(欲を持つこと)。
  • 「意味」を心で感じること。
  • 命を賭けた決断。

AIは「最強のエンジン」だ。だが、ハンドルもブレーキもない。 お前が運転手だ。 お前が「どこに行きたいか」を持っていなければ、そのすごいエンジンはただ空回りするだけだ。あるいは、暴走して壁に激突する。

「AIに仕事を奪われる」と怯える必要はない。 奪われるのは「ロボットの真似をして働いていた人間」だけだ。 計算機係、暗記係、手順通りにやるだけの係。そういう仕事は、喜んでAIにくれてやれ。

お前は人間に戻れ。 腹を空かせ、悩み、苦しみ、笑い、そして「これが好きだ」「これがやりたい」と叫べ。 AIは、お前のその「やりたいこと」を実現するために、面倒くさい作業を全部肩代わりしてくれる最高の執事になるはずだ。

主人はお前だ。箱の中の天才は、お前の命令を待っている。 だから、まずは「自分は何をしたいのか」、それを自分の頭で、自分の体で考えろ。 それが、AI時代を生き抜くための、最初で最後の条件だ。